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2018年08月21日

平たく言うと、自分が蒔いた種(言動)にふさわしい結果が生まれる

たとえ、自分に酷いことをした人でも、報いを受けるのは可哀想だ。
こちらに怒りや悲しみの感情が無ければ、加害者の受ける報いは
無かったのだろうか?星はあんなに綺麗なのに、月も青空も
とても美しいのに、人を憎むココロは、どうして生じてしまうのだろう。
他者からの迫害や侮蔑を受けるなら、受けるままにしておけば良いのに、
それができない自分が阿修羅のように思える。ま、死なば仏よ。

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因果応報って、単に恨まれるから不幸になる、ってことじゃないと思うけど。
(いや、恨みの感情はそれだけで呪詛らしいから不幸にはなるだろうけど)
要するに、その人が蒔いた種が、どういう形で成長して、場合によってはどんな実をつけるかって話でしょ?

例えば柿の種植えたら、当然柿の木の芽が出てきて伸びるわけで。
で、その出てきた芽や木を相応に育てないなら、初心証明の柿の木と言えども当然実はつけないわけで。
時には枯れてしまったりもするわけで。
しかも、当然柿なんだから、どんなに祈っても桜が咲くわけ無いでしょ?みたいな。
(挿し木したら、もしかしたら咲くかもしれないが)

平たく言うと、自分が蒔いた種(言動)にふさわしい結果が生まれる、てことでね?
posted by kuronekochan at 10:00 | Comment(0) | 因果応報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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